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1987〜8  
TAKUROが「GUEST-APO」(ゲシュタポ)を解散して、高校2年生の時にドラマーだったTERUを誘ってGLAYを結成。
TERUをボーカルにコンバート後、「蟻」を解散したHISASHIも誘う。
5人で、JIROが在籍していた「ピエロ」とデモテープを作ったりしながら、
オリジナル曲を中心に地元(北海道函館市)でライブ活動を行う。
89/08/27  AGGRESSIVE ROCK LIVE
89/10/10  LOCK SHOCK GLAY vs 道化師  ライブ


1990 ライブ活動も小ホールを単独で満員にするようになる。 90/03/10 GLAY LAST ONEMAN「ふしだらな最後の子守唄」(函館最後のライブ)「ずっと二人で…」 3月 高校卒業を期にTAKURO、TERU、HISASHIの3人で上京する。 都内、並びに近郊のライブハウスでの活動を始める。 8月 函館に帰省したGLAYがライブハウスに出演したとき、ちょうどピエロに入った頃のJIROが上京を決心。 11月 「イカ天」出演。『無限のdeja vu』
1991 10月 自主制作のカセットテープを3本発表。 瞬く間に完売。
1992 夏 新宿ロフトに初出演後、見に来ていたJIROをTAKUROが誘いを受ける。 「魔女狩りナイト」をブッキング。 牛組と名乗って、TAKUROがVo、TERUがDr、JIROがGで、「LOVE SLAVE」をやったり、 HISASHIカプセル・マーケッツとうユニット名でマッド・カプセル・マーケッツのカバーをする。
1993 08/18 ライブ 夏  EXTASY RECORDSのスタッフが偶然、彼らのデモテープを手に入れる。 そのオリジナリティー溢れる楽曲の数々に驚き、早速YOSHIKIにコンタクトをとる。 10/17 東京近郊のライブハウス、市川CLUB GIOで行なわれたGLAYのライブにYOSHIKIがお忍びで訪れ、 アフターステージに設けられた席で、EXTASY RECORDSとの契約の話をする。 12月 1stアルバム(インディーズ盤)のレコーディング・スタート。
1994  2月 土屋昌巳プロデューサーと「真夏の扉」レコーディング 2〜3月 ロサンゼルスのONE ON ONE RECORDING STUDIOにてYOSHIKIプロデュースの下、「RAIN」のレコーディングを行なう。 05/25 YOSHIKIが新たに設立したPLATINUM RECORDSよりシングル「RAIN」でメジャーデビュー。 05/28〜30 デビュー直後の函館〜札幌キャンペーンでは、行くところ行くところで大勢のファンに取り囲まれ、1回だけのファンイベントにも入り切れない人が溢れた。 8月  1stアルバムのレコーディング、スタート プロデュースは佐久間正英、エンジニアはマイケル・ツィマリング 10/23 北海道厚生年金会館「FM ROCK KIDS祭り」(AIR-G' 主催ライブイベント) 共演はLUNA SEA、KYO(ex.DIE IN CRIES)、SPARKS GO GO、宮田和弥(JUN SKY WALKERS)他。
1995    04/05 bay-fm レギュラー番組「Music Puls on Tokyo Bay」(毎週水曜日25:00〜26:00)スタート 07/11 2ndアルバムのレコーディング、スタート プロデュースは佐久間正英、参加ミュージシャンはTOSHI NAGAI(ドラム)、D.I.E.(ピアノ)他
1996 06/28 3rdアルバムのレコーディング、スタート、プロデュースは佐久間正英、参加ミュージシャンはTOSHI NAGAI(ドラム)、D.I.E.(ピアノ、キーボード他) 09/09 「BEAT OUT! REPRISE FINAL」初の武道館、全員が涙したとかしないとか・・・ 10/05 大阪御堂会館「GLAY SPECIAL LIVE IN OSAKA」(FM802、L-magazin主催) トークと、ミニアコースティックライブ 12/01 STREET VIDEO CONCERT「無限のde'j'a vu」(新宿アルタビジョン 札幌・北星ワイドビジョン 仙台・エスパルパルビジョン 名古屋・OVA VISION 大阪・TONBORI STATION) 12/06 第29回 全日本有線放送大賞ゴールド・リクエスト賞 受賞。 「BELOVED」 12/08 第29回 日本有線大賞 有線音楽優秀賞(ポップス)「BELOVED」。大賞はシャ乱Q